「涵蓄」(かんちく)

「動之則分、静之則合」

陰と陽とが分かれて最初に動きがあっても、太極拳の勢を静かに使えば陰と陽が合して一体化させることができます。

この言葉を単純に、動けば別れ、静かになれば陰陽が合一するなどと訳すのは、中国の古文の文字文化の思推方式ではありません。

動いていても、静かであっても、太極は混沌としていて、いつも離れることが無く合一です。

それが太極なのです。

陰陽が分かれる以前に太極があり、太極から陰陽が生まれます。陰陽が分かれた後を動。分かれる前が静です。静から生まれるのが太極拳の勢であり、動をも含みます。
太極の前には無極があり、そこには何もなく、ゆらぎ(1/fなど)が始まると太極になるというものです。

太極拳はこの相対性の世界(自分という主体と、それ以外の客体の存在する世界)で使われるものであるので、太極拳です。

無極から揺らぎをおこし、太極という静かな勢に、動を包括して戻していく運用法です。

動けばすなわち分かれという言葉のとおり、太極拳を知らないものは陰陽がはっきり分かれます。虚実の境目が大きいのです。

静まればすなわち合すという言葉のとおり、太極の状態は虚実が分かれていても、融合しているのです。

通常は動きだした瞬間に「分」に至り、するとすぐさま、逆に、静止しようとする意思が表れて「合」の状態になろうとします。太極拳は太極を離れませんからその境目がありません。太極を離れないためには、意識を持たず意で動くということです。

意は心、識は認識です。心のままで動くことを用意不要力といい、決してちまたの太極拳で言われているのような、意識で動くことではありません。

意識は心を顕在していることです。そこには、顕在した人の自我が働きますので、純粋な心ではありません。ですから、心を顕在しないことを無意識と言います。それは意識では表せない深いものです。完全なる無である無極と、このような太極の心で無意識で動けるのが太極拳です。

套路を意識を持って動くと日本語で教えられているのは、日本に入ってきたときの翻訳の誤りです。にもかかわらず、多くの太極拳を教える人たちは、いつの間にか意識で動くと間違って解釈して、そして実際に太極拳を運用しています。

認識という意識は、左脳の言語脳を使って脳内の言語で考えますから、次は手をこうだして、足はこう出す、教典の要求はこうだからこうする、実戦なら敵がこうきたらこう受けるという具合に考えることになりますから、そうしていたのでは間に合うはずもなく、太極の勢など出るはずがありません。意識になっていると、もう既にその主体者の後天的な条件まみれなのです。ですから、太極拳の套路で多くの人が身体をこわすのは、高度で純粋な太極拳の動きを、自分が今までに知っている条件の下で、太極として完成された姿勢や形をすぐさまに要求され、相当な無理がかかるからです。

五感・六感から得た感受で、すぐに動くことができなければ、遅れをとることになるどころか、後天的に人間のシステムで構成された、狭い条件の元でのみしか身体が動きませんから、相手の攻撃を融合させることなどできるはずがありません。条件と条件がぶつかり合い、とんでもないことになります。その条件を強化したものが、同じ条件下で勝るだけのことです。いつまでたっても、相手の条件に勝るためにその部分を追いかけ、追い越し、年をとって衰え、若い者には負け、男女の身体の違い、筋肉のつけ具合を追いかけていくしか有りません。このような有形のものはいつかなくなるものです。

太極拳は、人間の単細胞生物の時代から遺伝子に蓄積された膨大な情報を使います。感受と同時に動き、脳の中心部にある本能よりも前の脳の情報です。

これを、太極拳では「涵蓄」(かんちく) といいます。涵蓄は人間の最も奥深いところでの生命力を養い、その勢いを内に秘めて蓄積することをいいます。この涵蓄を練るのが太極拳の本来の套路です。意識を使えば使うほど涵蓄は衰え、意識を使わないで動くほど涵蓄は勢いを増します。套路を覚える段階はもちろん意識的に覚えないといけませんが、意識的よりも大切な深層からわき出る意を感じながら勝手に動く勢と、教えられた太極拳の動きが同じであるという感覚で、套路を覚えていかないと、何の意味もありません。

套路は最終的に瞑想と同じような働きを生み、最終的には三昧と同じような還虚を迎えます。武当派の高手の套路が瞑想太極拳と呼ばれたのもこのような理由からです。

このような涵蓄が太極拳の神髄であり、生命力が活発になり、若返り、本能的以前に自分の心身を守るだけの能力が思い出され練られるのです。

“「涵蓄」(かんちく)” への1件の返信

  1. ハーバード大学医学部が発行しているニュースレター(2009年6月号)に「太極拳は動きながらの瞑想(moving meditation)と言われるが、動きながらの治療(moving medication)と呼んでもよいのではないか。武術として中国で始められたこの心身鍛練法はいろいろな病気の予防や治療に有効であるとする研究発表が増えてきている」と太極拳に関する記事が掲載されていました。

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