じゃんけん。面白いものです。じゃんけんの理合にある、三極という原理、これが太極の易理論にとても重要な位置を占めているのです。
じゃんけんでは無く、こちらが負ければ、相手が勝つだけの場合。これは相対性です。
三極とは,こちらは相手に負けているが、別のものには勝っているということです。
太極の易理論はこの三極(自然の法則)と相対性(現実の現象)を明確に理論化しています。
易は、これらから統計学的アルゴリズムをはじき出して、数値化とその性状を定義したものですが、三極の変化を計算値に加味すると,変数が増える分だけより細かな易を測ることができるのです。
易を使用した占いなど日本でも千差万別にありますが、易を使用しているならその部分はほぼ同じです。
このように易の基本は全て同じなのですが、変数に何を用いるか?手相か?水晶か?タロットか?等々多くあります。それが違っているのです。
太極の易では三極という自然の法則を用いています。現象は0-1-2-4-8-64・・・と増えていきます。それに三極の変数が加わります。
三極を極簡単に説明します。じゃんけん風に。
自分が陰とすると、相手は陽ですね。負けているとします。しかし、勝っているのも別のものであるから陽ですね。自分は陰であり、陽でもあるということになります。
自分が陰とすると、相手は陽です。勝っているとします。しかし、負けているのも別のものであるから陽ですね。自分は陽であり、陰でもあるということになります。
じゃんけんでいうなら、チョキでパーに勝っている。陽陰の関係が、後ろにいる人がグーを出してほらボクの勝ちだといって陽であり、自分が陰に変化しています。このような止めどない循環が実は自然の法則なのです。じゃんけんは自然法則における相対性という現象論を巧みに表してできている完全なゲームなのです。
世界を表していると言っても過言ではありません。
易は、自然現象全てを陰と陽に分けて、その現状を果てしなく測ります。
それは統計学以上の精度をもって世の中の事象を計測することができるのです。
しかし、この三極を理解しないと、現象の状態(勢)を量ることができないのです。
もちろん予測することも不可能です。
まず、易を測るときは起点である測るもの例えば,易を測られる人を設定します。その人の時空ですから、生年月日と生まれた場所なんですが、場所は事象を測るその方角を設定して易を測ります。
そして三極を変数として加えていきます。まず基本は、その人が陽であるとか陰であるとかはしないで三極であるとします。基点だからです。
そして、その人が測りたい現象が陽であれば陽とし、陰であれば陰とします。(五行・八卦に基づきます。)
そして、その人のその時の状態が陽であれば陽とし、陰であれば陰とする。(五行・八卦に基づきます。)
そして時間ですが、過去のことも現在のことも同じであるとします。なわち時間は三極とします。
原理は、過去はその時には現在であって、現在はその時には未来であり。未来はその時には現在であり、現在はその時には過去であるということです。一つの時に三極全てを含んでいるのが自然の法則です。
ですから、易を測るときは、あるときは過去のことを優先し、あるときは現在のことを優先するのです。この原則を間違えると現象は不安定なものになります。すなわち、その人の勢を測ることは不確定になります。
そして空間であるが、内と外も同じである。すなわちこれも三極です。世界は拡張するか縮小していると太極理論では考えています。宇宙物理学でも、その他の宗教でもおおむねそうですね。
原理は、内はその時には中心であって、中心はその時には外であり。外はその時には中心であり、中心はその時には内であるということです。一つの空間に三極全てを含んでいるのが自然の法則です。縮小する場合はそれを全て逆にします。この場合は陰陽を逆転させます。
ですから、易を測るときは、あるときは内を優先し、あるときは外を優先するのです。この原則を間違えると現象は不安定なものになります。すなわち、その人の勢を測ることは不確定になります
これらの三極のお互いの関連は、その範囲を超えること無く、ただ三極でありその間はありません。
過去・現在・未来も、内・中心・外も、全て三極であり完全に空なのです。従って、いつでもどこでも、どのようなものにでもなれるし、またどのようにもなれないということになりますから、運勢は変化を持つことができるのです。
ですから易を測り、過去も未来もどのようにも変化させることができるのです。それが太極の運勢術なのです。勢を運ぶ術、太極拳の技や套路も全てこの理合を含んでいます。
その人の変化(易)と状態(勢)を測ることで、このように現象をまとめていき、その人の周りに起こる事象として易(やさ)しくしてあらわします。すなわち、易という明確なものにもどします。そして易として事象を知り、予測するのです。また、それを変化させる勢を見いだすのです。
そして事象は、起こることは起こり、起こらないことは起こらないので、その時間と空間に応じて抑圧や加速をせずただ自然に無為に、臨機応変に勢を変化させる事ができるのです。それが勢を運ぶ、すなわち運勢なのです。
だからその人の中心と今をとらえ、その人から自然に発生する運勢がわかるのです。
易により運勢を見ることは、その人の人生を和やかにし、安楽にすることができます。
そして不安が無常に移り変わるものになり留まらず、自ら運勢を自由に扱うことができるのです。
これが易で人や物事の変化を知り,自由に扱う方法の大切なことです。
太極一家に伝わる易の運用法の要である三極。内三合。外三合。三節。三尖。全てこれに通じます。
そして、事象の全ての関係法則、因・縁・果も三極です。
太極拳の修行においても、その経験は易と勢の理解を経験として深めることにもなります。
無極から両儀が生まれ、五行・八卦と現象を捉えていくことは、太極拳の技の中にも現れてきます。
それを混沌として移り変わるものを自由に変化させる。それが太極なのです。
太極拳も三極がわかると、太極拳は神明の域に入っていきます。陰と陽に分かれていた勢が新たな第三極が生まれることで円転の循環を生み出します。これが太極拳なのです。
社会も三極を迎えることで、変化を始めます。第三の勢力を第三極といい、対立していたものに円転が生まれます。
運勢も三極で運ぶと自由自在になります。対立していた自分の中のものがあっという間に変化します。
その第三極を自分の運勢に置く,その第三極を示すができるのが太極の易なのです。