勘とは、人間のありにままにある優れた能力です。
俗に第六感と言われるこの感覚を心身一如(心と体が一致して)で使えるように養うことができます。
勘は、空間(例えば、周りからの影響)や時間(例えば、急いでいたり、ゆったりしていたり)、五感(心身が感じる色々な感覚)にとらわれない無為自然の感覚です。
その勘を技の中で経験して養うのです。 勘と技が一致したときは、神(心)気・精(体)が一致します。
瞬間の機(チャンスの元みたいなもの)を知り、勢(動きの起こりみたいなもの)を発します。 考えて決める間もなく機は瞬間に起こるのです。 迷いの暇もありません。
人生においても、商機。勝機。転機。好機。に動機を起こし危機。禍機に臨機応変に対応するのと同じです。
機運を感じ、機会をとらえるということです。
閃いたときにはすでに行動していないといけません。
ここに働くのは勘です。
日常においても勘をとぎすますと、感度が良くなってきます。
とぎすますには、多くの体験を重ね、経験して自得することです。 普段からの真摯な修練が勘を良くする最上の方法です。
刑事の勘と同じです。 一切のとらわれを捨て去るところに勘が働くのです。
無為自然に起こる理を聞いて 枝葉までを悟るのは、その理を真に体験して経験した以外に他なりません。
人生において無為自然を悟り、勘をとぎすましたものは、理を聞けば、枝葉が分かるのです。
響きのない声を聞くこと。形のない心を感じること。においのない香りを嗅ぐこと。
見えない姿を見ること。味わえない味を味わうこと。この感覚を養うのです。すなわち、感受性を高めるということです。
一つの事の起こりから全ての世界を感受する勘です。
積み重ねる体験と、多くの勘を熟練することで 勘をとぎすまします。
自然に起こる勘によって動き、理が起こり、技を展開し、術になるのです。 勘によって動いた術が、あらゆるものを和合して制することになります。 この繰り返しで自然に起こる勘を養うのです。
そして、この熟練を日常に生かすことで、真の勘がとぎすまされるのです。
毎日の修練が最短最速の方法であることは間違い有りません。