武道において、相手の攻撃を受けて攻撃するという攻防について述べます。
攻防において、相手の攻撃を受けて反撃する。
一般の武道では、相手が息を吐いて撃ってくれば、(実)こちらも息を吐いて受ける(実)というものが多いようです。
それから息を吸い込み、又吐いて反撃する。受け側は、吸って(吐く前に吸っているから)、吐いて、また吸って吐くという4呼吸と考えることとします。
この場合は双方が実、双方が虚、双方が実と一致しているので、お互いに効果的な発勁は行えません。
なぜなら実の時は、身体も防御するだけの緊張をしているので、内部に勁は浸透しにくいからです。
相手が虚であるからこそ、こちらの攻撃が効果的に相手の内部に浸透するのは、武道の常識です。
従って、効果的な技を発するためには、相手の虚を作るための当て身や、何らかの作戦が必要となってくるのです。
または、お互いに実であったとしても効果的な打撃を行うために、双方の実と実の力の優越を、筋肉などの力を増強したり固くしたりして、その力の強い方が相手の実を打ち砕いたり、実と虚の移り変わりの差をスピードで勝り、相手の虚を突くために、スピードを司る筋肉を鍛えていくことに努力するという功夫の修練を行っていくことになります。
功夫はこのように体の外側を鍛えるので、外家拳の性質の一つとして論じられる場合もあるようです。
そこで、太極拳の通常について。
太極拳は、相手が息を吐いて撃ってくれば、(実)こちらも息を吸って受ける(虚)のです。だから太極拳というのであり、これが基本なのです。
それから自然に次の動作として吐いて反撃するのです。吸っているときは蓄勁、吐いているときが発勁です。
この単純な太極理論を武道に発見したのが太極拳法(当事はそう呼ばれていました)であり、道教の僧が創始したのも頷けます。
このように、受け側は、吸って(受けたときに吸って)吐くだけであり、2呼吸と考えることとします。
このように、太極拳は反撃を2呼吸で行えるのです。
そうであるから、相手の動きを受けてから、こちらが動くという、後の先の武道なのです。
このように相手が撃った実の後に、相手は当然に虚に戻りますが、こちらのは受けたときに虚であるので、相手の虚の時に攻撃(実)するのですから、相手は相当なダメージがあり、又、スピードは相手が攻撃を終わらせるのと同時に攻撃を終わらせるのですから、普通の人間の筋力とスピードで十分なのです。ですから老人になっても、ひ弱な女性でも最低限の効果を得ることができ、何も鍛えなくても、力が衰えても、自転車に乗れるように使えるのです。
今までは当たり前の誰でもわかることですが、いよいよ本題です。
実は、太極拳には、その2呼吸を1に近づける吐納技術を用いる技が多くあるのです。
相手が息を吐いて撃ってくれば、(実)こちらも息を吸って受け(虚)る時に、吐納法(丹田呼吸)を使って吸気を圧縮し、その吸気と吐く息を同化させながら反撃するという技術です。
相手は攻撃という実が終わり、虚に戻っていきます。呼吸だけで言うと、相手は息を吐いた後に吸う呼吸が始まると言うことです。
こちらは、相手の攻撃を息を吸って受けて、相手が攻撃を息を吐いて行った後に、息を吸うことを始めるまでに、こちらは息を吐き始めて、相手が実から虚に移り変わる加速に同化して追いかけながら、相手が息を吸い始めて虚になったところにすぐに発勁するのです。
相手は、虚から実に移る間もないだけでなく、実から虚に移る勢いを利用されて、より虚に陥っていくのですから、内部への勁の浸透は加速的で深部までこちらの実が浸透します。
このように、虚の圧縮技術は吐納法という逆腹式呼吸で修練しますが、これは分勁(テイクバック動作の無い発勁)の技術そのものであり、分勁ができるようになると、この技もできるようになります。
分勁はテイクバックをしていないのでは無く、テイクバックを極端に0に近づけているのです。そこで、蓄勁を圧縮して行っているのです。
この技術は套路の起勢などで修練できますが、この勁を悟ると、套路の式全体にある過渡式(普及している一般的な套路には過渡式が無い場合がほとんどです。)などでもいくらでも修練できます。
そうなってくると、あっという間に熟練してきます。
このように太極拳の修練においては、悟るべき多くの事があるのですが、もしそれらを悟らずにして、修行を続けていると、太极拳経の末尾にあるように、最初の少しの間違いは、すぐに何千里もかけ離れてしまう。ということになります。
最初にこのような太極拳の真理を知って、練習をしていれば、套路を練習すればするほど、太極拳が上達します。ですから、武道としての太極拳の修練はとても重要なのです。なぜなら、太極拳は武道だからです。
しかし、武道としての理を経験せずして套路をやり続けていると、どんどん遠くにかけ離れていってしまうのも太極拳です。
王流の套路クラスは、武道としての理を会得した指導者が、武道としての動きでしか構成されていない套路を教えています。一切省いていません。安全域も形も何も制定していません。その代わりに武道の理があるので、套路で思い切りおおらかに動いても、怪我も無くどこも痛めません。それは実証されています。
より武道を極めたければ、武道クラスで相対で武道練習に参加すれば、套路に流れる武道の理がより実戦的に現実的になり、套路の理想がより現実化していきます。
このように武道としての動きでだけで構成された套路であれば、套路だけ行っていても、太極拳の心身の健康効果と、すくなからずの自然な護身能力は呼び戻されます。
武道クラスに参加すれば、套路との相乗効果を生みながら、心身の健康と積極的な護身能力に飛躍的な効果を生みます。
武道クラスも套路クラスも基本は同じですので、太極拳は武道であるということを理解しておくことがとても重要です。