山で遊び出す子ども達はとても元気です。山の中を走り回っている内に、色々なことを忘れて、ただ無邪気に遊び回っています。
そんな子ども達の、足下や手の動き、身体の動きを細かく観察していると、驚くような巧みな高度な動きで、山を駆け上り、飛び降り、ぶつかり合っています。
これは何でしょうか?努力のたまものでしょうか?
実は、これが太極拳が求めているところなのです。
確かに努力も大切でしょうが、努力したことを積み重ね、その成熟したものに頼り切ることが果たして全てでしょうか?
それを失うことに焦りも生まれ、純粋な元気も消え失せることがあります。元気に楽しく、どのような事も巧みにこなしていく天性で生きていくのも一つの生き方だと思います。
努力を積み重ねるよりも、太極拳は努力を捨て去り、力が抜けたところを見つけ、気づき、そこにある気の元、すなわち元気を取り戻します。
取り戻してしまうと後は簡単です。元気に生きればいいのです。武道でも元気を使えばいいのです。元気は己の奥底にあります。それを見つけ出すのは努力ではなく、捨力です。
元気とはどういう心身の状態をいうのでしょうか、これを厳密に定義することは意外にむずかしいことです。
しかし、誰しも元気の状態を実感として知っています。
例えば、よい睡眠がとれて、朝気持ちよく目が覚め、身体がしゃきっとして全身に力がみなぎり、気持ちの上でもやるぞという意欲が沸き、不安や雑念もない、こういう状態を元気ということに、多くの人が賛同するでしょう。これは健康な人ならばごく自然にあらわれる状態です。
太極拳の運動がセロトニン神経などに多大な影響を与えることは知られています。セロトニン神経は生理学的な元気の仕組みです。
楽しくて、何もかも忘れて無邪気に遊んでいるとき、セロトニン神経は活発に、アドレナリンなどのホルモンも他のホルモンとバランスが取れながら活性化しています。
私たちは、太極拳の套路を朝に滔々とやり、武道の太極拳練習を午後に活発にやる環境に恵まれています。どちらも気の元をさらけ出している、捨力でやります。
努力しない。それが太極拳の道です。そのやり方があります。