もちろんなります。
もともと、私は生まれが大阪のミナミの老舗任侠団体(現在は広域暴力団です。祖父及び母は他界しましたので、私はこの組織とは一切関係有りません。)の家庭で、若い頃大阪ミナミのキル・ビル(映画)の様な世界にいました。
子どもの時からプロレス好きな私は、ビルロビンソンやカールゴッチなどの技を巧みに使い、私のおじいさんが総支配人だった大阪歌舞伎座の近くのプロレス道場で大人相手に遊んでいました。子どもの遊びの延長です。
たぶん私の年代で大阪のミナミのクレージーホースといえば知っている人も多いと思いますが、毎日が拳銃の撃ち合い、ナイフでの殺し合い、やくざどおしのけんか、陶器の灰皿が飛び交い、トイレでは銃声、日本刀で斬り合い、これは全て本当の話です。
そのど真ん中に、クレージーホースの管理側でいた私は、2回ナイフで刺されました。その時にたまたまアルバイトに来ていた少林寺拳法部の学生たちと 、毎日暇なときに組み手をしていたのと、太極拳の老師(後の私の先生)がそれを見ていて護身のための太極拳を私に教えていたので、私はもめ事に首をつっこんでそれを止めるのが大好きでした。 当時の私を知る人間は、毎日欠かさず数回ある客同士のけんかの時、必ずテーブルの上に乗って飛び回っているのはおまえだったといいます。
その結果ナイフで刺されましたが、刺されたことが気づかず、いつの間にか膝が上がり、おなかに向かって刺されたナイフを受けていたのです。(金鶏独立です。)
膝には刺さっていましたが、後で縫って治療しました。 不思議に両足同じところです。
無意識に体が動く、武道とはこの様なあたりまえの単純なものです。
クレージーホースの京都の姉妹店で正月早々暴れる京都の暴力団に、前々から業を煮やしていたその店の支配人が、当時その店を見ていた、大阪の暴力団を呼んでしまって、その人たちが4/5人で刀を持ってやってきました。
玄関からむき身でそのまま店に入って斬りかかり、2人死に、後は重傷。大事件でした。
たまたま初詣の八坂神社の帰りに本店の幹部として寄った店で、それを止める目に合いました。
実際には死傷者が出たので、止めたことにはなりませんが、横で切られている人の合間でも、本番になると刀の動きがとてもゆっくりだったのを覚えています。そしてなにかしら、不謹慎かも知れませんが、楽しかったことです。
日常的にはもっともっとあり、酔っぱらっていて、私に恨みを持つものに道頓堀の橋の上で、振り向きざまの人中への突きで歯を全部折られ、道頓堀に放り込まれそうになったこともあります。
その時私を橋桁で抑えてる人間が相棒に、「おい。やっぱ出せ」といった声で、私は酔っぱらいながらも体を翻して、その相棒に構えたとき、相手がひるみ、私の同僚が助けを呼びに行って駆けつけたものの姿が見えたので、彼らは逃げました。 私は口から大量の血を垂れ流し、横目で地面に落ちている歯を見ながら、彼らを追いかけました。危機一髪でした。私が22才の頃です。この頃から本格的に護身術として太極拳を王氏から教わることにしました。この時は護身術としてが一番の目的でした。王氏が、70歳を超えているのに、クレージーホースの玄関でいとも簡単に、暴力団の組長の用心棒を気絶させてしまうのを見たから、この人に教わりたいと思いました。
それからも、やんちゃな私はその後も山ほどエピソードはありますが、車のトランクに詰められて放置されたり、7人ぐらいの組員に拉致され、簀巻きにして冬の海に投げ込まれて、一度あの世に行ったこともあります。これは29才の頃です。
その後より本格的に私の師について太極拳に取り組みました。仕事もせず、のめり込んだというのが正しいかも知れません。しかし、この時は護身術としてではなく、王氏から教えられていた、無為自然の境地に到達したいと心の底から思ったからです。
護身術は単なるそれの結果ですが、生死の境で身を守る法として太極拳は私はとても優れていると確信を持っています。
“太極拳は護身術にもなりますか?” への1件の返信