経絡は心経であり、任脈にある。募穴であるので、解穴はそれに対応する兪穴、心兪穴となる。督脈は神道穴を使用する。点穴はある角度と、高度な運用を行わないと、そう簡単に深部に到達しない。拿穴も同じである。金的においてもそうである。急所とわかっていても、ただ蹴った程度では、極度に痛いだけである。しかし、金的は死穴である。いざとなれば、点穴術を使用して蹴ることができるのは、普段の練習の賜である。そう簡単には教えない。だから正しく知り、むやみに人を蹴ったり、叩いたりしないことである。極論を言うと、殺されそうなときにだけ使用できれば良い。その運用法は、いくらでも急所を突かず練習ができる。技術よりも大切なことがある。それを知らないと、そう簡単に点穴の基本の基本を知っていても、いまや、ネットを見ればこのような基本情報はすぐに入手できるが、実践法を知らないのであれば、そう簡単に鑚打など打てるものでは無い。活法にしても拿穴にしても、そんなに簡単にできるのであれば、何も専門学校で学ぶことも無い。実際に、習っても指圧や整体を業としてやった人ならわかるだろうが、高度な発勁(拿穴)を身につけていないと、爪、手の指、手首、体中の関節を痛めるのが実際である。又は全く効かない。
太極拳の套路も、この募穴と兪穴の関係が理解できないと、陰陽における太極の理はわからない。どちらにも偏らず、又両極に偏らず、いつもその両極の内で混沌と動きをなめらかにすると言うことである。明確な自分の身体の虚実を実際に経験してこそ、放鬆という太極の状態を実践できる。だから、経絡と経穴をしっかりと学ぶことは、行気を含め大切な太極拳の修行である。ここでは、その観点に立って、点穴を紹介している。又、むやみに人を叩いたり、蹴ったりしている人がいるのであれば、その人たちこそ、しっかりと点穴術と拿穴術を深くまで修行し、それからにしてもらいたい。そうすれば、正常であれば、人を叩いたり蹴ったりすることが恐ろしくなるはずである。子ども達にも是非知って欲しいほどである。人の体をむやみに叩いたり、蹴ったりすると、取り返しの付かないような場所が多数あることを、自分の体を拿穴しながら知って欲しいものである。拿穴を三節、開経、虚実などの技法ですすめると、その先には死があることを知る仕組みになっている。私たちの点穴術はそれを教える。うちの門下たちは生死が紙一重であることを、誰よりも知っている。だから皆とても強くて優しい。私が、そこまで、実際に経験させることができるからである。
特にこの巨闕穴は角度によって、心臓を直接打つことができる。腹を打って気絶させたり、後頭部を叩いて気絶させるなどの、映画やテレビでやっているような事をまねする前に、この点穴術の生死、即ち陰陽の基本を知り、相手に取り返しの付かない障害を残すことを知るべきである。心臓を直接打つと、心拍は減少し気を失う。即座に背の神道穴を掌底で打ちたたき、心兪穴を拿穴する。心臓がドキドキして脈が速いときは、巨闕穴を拿穴すれば収まる。ほっとして胸をなぜ下ろすのは、その勢を巨闕穴に下す自然な人間のクセである。又逆に心拍数が減少して元気が無いときは、神道穴を平手で叩き(掌底ほどでなくてもよい)、軽く心兪穴を拿穴する。元気を出せと背中を叩く。これは誰でもできる。元気が出る。同時に天柱穴などの拿穴も効果的である。熱中症などの時には応急措置の手助けとして効果がある。巨闕穴は角度によって相手の虚を造ることができる。その場合は心臓を打つ場合と角度が違う。横隔膜を打ち、丹田の気が上がらないようにするだけであり、全身は無力になる。その後に擒拿術や摔角などの把式を行うのである。この場合は当て身である。
■点穴術と拿穴術の招式