太極拳の発勁で、相手の内部にまでダメージを与える打ち方があります。
鑚勁とも呼ばれ、この発勁の練習については、通常の打撃練習では習得できません。
徹しという技能を身につけます。王流の套路には徹しの発勁で打つことができるような過渡式を備えています。
基本の勢はこの套路で修練できます。
発勁には、その目的に応じて、表面的な部分に痛みを与えたり、経絡を閉ざしたり、経穴を麻痺させたり、虚を創出するものなど色々とあります。擒拿術や投げ技である摔角の作用点も発勁になります。声だけの咆哮も、相手の動きを誘ったり、気で相手を動かす凌空勁ももちろん発勁です。つばを吐きかけることも発勁です。耳や髪の毛を引っ張ったり、衣服をつかんだり、罵詈雑言を発したり、騙したり、演じたりするのも全て発勁です。
徹しに関しては、鑚勁や点穴などと同じ三節三尖の理で修練します。套路も三節三尖の理を備えています。
練習方法は、打撃点(表面)より内部を爆発点となるように打ちます。套路では無極点での移動です。
応用練習ですが、もちろん人間相手で練習など絶対にできませんから、拳法の防具の胴を吊して、それをできるだけ遠くに力を掛けずに飛ばす練習をします。
なぜかというと、打撃点で爆発すると、音は凄いですが、打撃点と爆発点の距離がほぼ0ですから、爆発の威力だけですので、相当な爆発力が無いと遠くには飛びません。
しかし、打撃点と爆発点の距離がある徹しでは、その距離の移動スピードとその質量(体重全て)がそこに働きエネルギーを創出しますから、弓を飛ばすような勢いが出るだけのエネルギーがその間で生み出されるのです。E=mc2
ですから、打撃点まではほとんど力を使いません。腕を運ぶだけのことで、体幹を使うのでほぼ無力です。
打撃点から爆発点までが徹しであり、その移動は弓を発するようなイメージですから、弓道を見てもわかるとおり、見た目はほとんど軽く打っているようにしか見えませんが、とても遠くに飛んでいきます。
飛んでいくと拾いに行くのが辛いので、公園のブランコの平行棒に吊しておくとクルクル回りますし、その回り具合で徹しの度合いがわかります。木に吊しても良いです。しかし、重いサンドバックは相手が人間と考えると、人間というのは立っているのがやっとの動物ですから、少しの移動で崩しの範囲に入りますから、サンドバックのような力点が頭上や足下で固定されているものは、人間として見立てた場合は理に合いません。崩れないものを打つのは逆に簡単であり、崩れていくもの、逆に相手が太極拳やボクサーのような体幹の使い手でも、内部に打ち込めないと意味がありません。胴程度の軽いものをできるだけ遠くに飛ばす。これが徹しの練習に必要です。
例えば、弓の矢をマイクスタンドのような受けにおいて、矢筈を徹しで打って数メートル先の的に打ち当てるような練習もできます。
また、スイカや瓜などを吊して、それを打って内部を爆発させることができるようになると、徹しは神明の域に達し、スイカや瓜と同じ構造の頭部や、肋骨で守られた心臓、それよりも柔らかい肝臓や腎臓はたまったものではありません。
このように、太極拳の徹しは徒手殺法の代表的な技術です。頭部や心臓を打つと致命的であり、肝臓や腎臓には障害を残します。
徹しの技術を会得してしまうと、背勢や、分間をとることができれば、徒手殺法としての目的は達成できます。
しかし、徒手殺法はこの日本では使うことを考えるよりも、絶対的な自信の一つとして備えるものになります。
この自信が他の太極拳の技術を、より高めていくことに役立ち、日常の生き方にも大きな恩恵をもたらすことでしょう。