欲も、自我も、好きなだけ。楽しいだけ。思いのまま。ありのまま。
一切にとらわれず、性欲・食欲あらゆる欲望もありのままだから、思い切り、一切の抑圧も抑制もなく生き生きと命の中に躍動する。
一切の抑圧から解放される。こんな楽しくて素晴らしい人生がないことを思い出す。
この抑圧が一切なくなる。神(しん)のすむ魂(こん)が、この抑圧のないこの現世に現象を起こすものになる。
魂(こん)は精神的活動で陽、
魄(はく)は肉体的活動で陰とされ、すなわち欲望も人体も、生理も精も気も魂と共にあるのが魄(はく)である。
魂魄は生きている間は一体であるが死後すぐに分離し、魂は天界に入るが、魄は地上をさまようとされた。
要は生きている間は、魂魄(こんぱく)相済(そうさい)なのです。
この世界に生きるとき。あらゆる欲望はパッション(情熱)のように燃えたぎる。
この世界に生きていないとき、魂魄が分裂しているとき。あらゆる欲望はパッション(英語の別の訳=キリストへの迫害)となる。
太極拳の太極は魂魄(こんぱく)相済(そうさい)を理解するための思想でもある。
欲望を抑えずに生きられる方が良い。しかし、魂魄相済でないと、生きることが出来なくなる。だから、欲望を抑えるか?
その選択は自由だが、太極思想は欲望は抑えない。魂魄相済であると、もちろん欲望自体の内容も変わってくるが、あらゆる欲望は完全に飽和(最大限度まで満たされる)し、次の瞬間に無に戻る。
大架式の太極拳は、あらゆるものを解放しすべてを飽和することを思い出す。
すなわち太極を思い出すのです。