現在の中国における武術も、日本での武術もそうですが、武道を習う人に対して、武道が本来の武術と同じような要求を続けていくとしたら、武術を学びたいという人は減少せざるを得ないと言うことはどの武道家も知っています。
そこで、ずいぶん昔から、武道である太極拳はその武術自体を大きく変化してきました。
その理由は、本物の武術を追求するには長い時間の毎日の練習と、良い師が必要になるわけですが、現代人は余りにも忙しいうえに、身近なところに良い師がいるということは難しく、武術を残していくという手段としては、武術自体を変化させるのが良いと考えたのです。すなわちパッケージ化です。パッケージ化とは套路の型のように一つの型を定型化することです。
日本にも太極拳を元にして、その型を変化させ独自に定型化している武道が普及しています。
私は、幸い若い頃から大阪で自分で会社をしていて、又、20代後半は武道と内観に明け暮れることが出来るほどたっぷりと時間がありました。
私の師である王先生は第二次世界大戦の頃は、中国において特殊任務に就いていたらしく、そこでは、幼い頃から先生の叔父から、一子相伝ということで徹底的に指導された楊式の太極拳が、特殊任務においての実戦で大いに役立ったと言うことでした。戦後も相当危ない仕事をしていたらしく、命があるのは太極拳のおかげと言っていました。私の祖父とも大阪のミナミにおいて深く関わっていたとのことでした。
私が師と巡り会った頃は、一子相伝ということで誰かに太極拳を伝えて残しておきたかったが、子供は跡を継いでくれず、そうなったら伝統が絶えてしまうので、誰れ彼の区別なく周りにいるもの達に弟子達の時間のあるときに教えていたと話していました。しかし、週に一度程度習いに来て、忙しい中で護身術程度にしか考えない弟子達には、伝えたいことがが伝わることなどなかったとも言っていました。
太極拳は実践的な武道であり、武術の特徴でもある攻防が最も重要です。しかし、社会が成長し平和になるにつれ、その成長過程において攻防の部分は薄まり太極拳が広まってしまいました。
太極拳には沢山の理論がありますが、その全ては攻防を前提としています。毎日、師に教えられた理論が、その攻防の勢と一致しているかを師から学びます。
太極拳は、自分自身の深くにあるこみ上がるような不思議な勢への理解が必要です。理解は経験でのみ理解できます。理論はその表現に過ぎません。経験という理解は言葉では表せませんが、言葉で表すなら理論が合致するのです。ですから、太極拳の師は良く理論を話し、それと合致している動きを教えます。
攻防の理論とは、例えば、太極拳では相手が動かない限りは、自分も動きません。相手が自分に対して動いたなら、その動きを和合させ、自分の動きにして相手の動きを自由にするだけです。
太極拳においては相手の動きを待つと言うことです。相手の動きを深い感受の部分でとらえるのが聴勁です。実戦の命のやりとりの中で身についた王先生の動きから、王先生は内観により、その感受と水がわき出るように発せられる沾粘の勢を観るのです。そして、相手の意が動いたとき、その水がわき出るのを観るのです。
その経験を内観して、人に伝えるときその全てを、使える言葉としての理論と、表現全てを駆使して弟子に伝えます。
そして弟子に実際の技を経験させて、その理論と表現が一致していることを弟子に認知させたとき、一つの勢が師から弟子に伝わり始めるのです。
このような相伝は、面と向かっていなくても師から弟子に伝えることも可能で、弟子は単練にて自分自身を内観できれば、その勢を伝えることが出来ます。
本来の武術の要求を真に経験しているものは、このように豊富な理論と、表現方法を駆使して弟子に全てのことを伝えることは可能です。
情報社会が発展し、今はネットワークを通じて豊富な表現方法が出来ます。
多くの武道家があきらめ始めていた、真の武道の伝承も、一子相伝ではなく遠方にいても、又弟子が時間が合わなくても伝えることも可能な時代になってきました。
ネットワークを通じて、師と弟子画面と迎える時代になったと言うことです。
太極拳は、本来の人間の能力を思い出し、その動きを利用する武道です。他の武道とは入り口が違うのです。
ですから、弟子達の単練と、師の経験を説明する理論を整合させていく作業が出来れば、昔のように、弟子さえそれを感受する能力があれば弟子は育ちます。
そしてその弟子の感受する能力を呼び戻すことが出来るのも、太極拳の修練にあるのですから、真の太極拳をやる気の あるものに伝えていくのは、遠方であるとか、時間が合わないとか言う障害は全くなくなったと考えています。
結論は、現在においても、他の武道のように太極拳はその本来の武術を変化させることなく、弟子達に伝えることが出来ると言うことです。