気とは

今回は気についてのお話です。

気は神と精のコネクト役と考えます。

「氣」又は「炁」が正しい書き方です。

私たちは気とは、ひとつは生命エネルギーのことと考えています。生命エネルギーとは精神も、心も体も全て含めて、それらを動かすエネルギーのことです。

注意したいのは、ここで言うエネルギーとは単に熱量を持つ物質論的なものだけでなく、霊的・生命的・動的な原理としての形而上的側面と、物質的な形而下的側面を合わせて考えます。

広範囲になると、大気をも呼吸により自らの身体の中に充満させることが出来ることから、一体論として呼吸を通じて大気を、形而上的にエーテル(宇宙に充満する媒質)をエーテル体としての生命体自体が呼吸をする人体と別の層の身体であるとして、全宇宙を含めての、生命エネルギーである気をとらえます。

それが満ちていることが気が満ちていると考えます。もちろん、それが満ちているのを感じ取ることができるのです。

それを東洋では「気」と呼びますが、その源は「神」(しん)であり、言うなれば、人間の本質にある無為自然の純粋な生命エネルギーのことを指します。

西洋では父と子と精霊の三位一体のうちの精霊であり「プネウマ」と呼んでいます。

ヒンズー教では呼吸をする生き物の生命力そのものをさす言葉として「プラーナ」という呼び方をしています。

気はこのように、単純に生命にみなぎる生命エネルギーであり、又、森羅万象にその存在自体を生命と考えた場合に存在するものです。

そのエネルギーの伝達は、障害物などがない場合はスムーズに伝承され、又受け取ることが出来、又発することが出来ます。

その障害物が邪気などと呼ばれます。

無邪気の子供の気を思い浮かべるとわかります。ただ元気と言うだけでなく、生命エネルギーそのものです。

太極拳はそのような気そのものを純粋に伝達し、又受け取ることが出来る為の、修練と言っても過言ではありません。

太極拳が熟練すると、太極拳自体は、自分の生命エネルギーを充満させるための内気功となり、又、外気功として自らの生命エネルギーすなわち気を相手に伝えることが出来、又、その受動するための作用を相手の内に呼び起こすことも出来るようになります。
(私たちには頭推按という外気功が伝承されています。頭部以外の外気功は擒拿術及び点穴術を調整応用します。)

気についてはまだまだ深いので、又色々な場面でお話しします。