章門穴「点穴術・拿穴術」

章門穴   章門穴は脾経の募穴である。第11肋骨前端の下際にあり、鑚打を打ち込むと、全身の経絡の気が逆流する。即ち、気が逆向きに圧力が高まり、体中がこわばる。息が詰まって死ぬこともある。体中がこわばって石のようになるから、とても脆くなるので、軽い点打は当て身となる。虚を作り擒拿や摔角などの把式を行う。解穴である対応する兪穴は脾兪穴である。章門穴を拿穴すると、体の内に内勁を高めることになり、気が早く巡って内勁が薄れている場合、即ち気力が失せている場合にはとても有効である。抑鬱状態や心身症、精神疾患などの改善に役立つ。又こわばりすぎて、内勁に気が溜まりすぎて、体が硬くなっている場合には、脾兪穴を拿穴する。気が体内で停滞して高まり、体の節々に痛みが生まれたり、怒りが心頭したりする場合の治療に有効である。その人の証を見て適切に点穴又は拿穴する。募穴と兪穴の関係はその間に100円玉の直径ほどの管が通っていると思えば良い。套路などの高度な練習方法では、その間を勁が行き来する。拿穴はその間を実際に勁を行き来させる。点穴は、その間に真っ直ぐ発勁を打ち込む。そうでないと効くことも無い。龍脈と言い、武当派においては重要は実践理論である。
 これだけ長い間、太極拳に携わっていると、今までにも、点穴などの情報を公表することは誤用などを招くと危惧するものも多い。そのような者達は、ただ点穴術の実践を知らないだけで、多くは知識に偏っている。多くは漫画である。点穴の知識をいくら公表しても、おいそれと漫画のように、人の急所に有効に効くことなど無い。今やインターネットを見れば、点穴に関する情報は怪しいものから正確なものまで、論文を見れば、もっと詳細で専門的なものまで、本当に多く氾濫する。いくら知識を得ても、三節、三尖、虚実、蓄発、無用の用などなど多くの事をしっかりと習い、その上で心を練り、その働きでそれを実践できて初めて点穴術を行えるのであり、情報を見たからといって誤用などあり得ない。浅はかな点穴術を知識で得たものは、知識を知ったからと言って誰でもが行えると思うのだ。自分がそうだからである。偽物の整体師や点穴術師はそのようにして見破る。点穴は、そんな生やさしい、安易なものでは無い。そんなに安易だから、人にも安易にそれを行おうとする。とんでもないことである。それよりも、人間の体には生死を左右する急所が多くあり、点穴術をしっかりと実践的に学んでいないものは、むやみやたらに人を叩いたり、蹴ったりすることが無いように、その怖ろしさを説明する必要がある。日本の少林寺拳法は点穴の場所などとその効果などの情報は、誰しもが知り得ることであるという前提である。しかし、その実際の運用は多くの事をしっかりと学び、ある程度の人格と段位を持たなければ、その運用法を教えることは無い。これで良いのである。私のところも同じ立場である。中途半端に点穴を学び、中国拳法を教えたり、整体などの業をしているものの一部には、点穴を実際知らないものがほとんどで、その者達は点穴の情報を公表することに怯える。自らが知識だけで点穴や整体を行えるため、誰でもが知識さえあれば使用できるように思うからである。少林寺拳法の姿勢とは正反対である。とても危険な行為であり、そんな浅はかな点穴知識だけで人の急所に拿穴してもらっては困る。日本にはそのようなものが驚くほど多い。効かないだけなら良いが、過信して、知識だけで闇雲に行われたのなら最悪である。拿穴はじんわりと体の対応箇所に障害が出る。
人に点穴術を行ったら、その人の体には障害が残る。拿穴は相当な技術が無いと、深部まで到達しないから、これはあまり心配ないが、中には興味半分で知識を得て、得意げに自己を顕示するために人に無理矢理施すものもいる。それで何かあったら、そのようなものは傷害事件として告発するべきである。人をむやみに叩いたり蹴ったりすると、たまたま、急所に深く入ることがある。これが一番危険で、最近の青少年の無感覚さが拍車を掛けて多くの傷害事件が横行する。人間の体は、とても脆く、人は簡単に死ぬことを知らなくてはならない。それが点穴という基本的な情報で有り、人間のあたりまえの身体の仕組みである。万が一誤って、その急所を叩いてしまったり、また自分がそこを打ったりした場合、解穴術を知っていることも良いことである。又体の調子の悪い場所を癒やす程度であれば知識程度の拿穴でも役立つ。又、自分の急所を知っていれば、その急所を少しは守ることができる。これなら知識程度でも十分有益である。

■点穴術と拿穴術の招式(運用法)

※門下の自宅稽古のために、練習済みの運用法をおいおい掲載するようにしています。

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