太極拳の面白いところは、道を歩むように一歩一歩踏みしめて根本的なところに戻っていくところにあります。素に戻っていくという表現が適当かもしれません。
套路などの基本練習は、例えば、生きていくことに置き換えると、人間として動くための自然な動きの練習です。
人間は動くのに、いちいち練習しなくても動けるようになります。
これは当たり前です。
太極拳も実は、自分の身を当たり前に守るための、人間の根本を思い出すためのものなのです。
道を一歩一歩進む、すなわち武道としての太極拳の高手になっていくことに必要なのは、人間が歩くのと同じように、その根本的な動きなのです。
それを套路で思い出すのです。
ですから、套路は無意識で意識を用いず、ただ歩いているように、自然呼吸で出来るようになるまでその動きを求めていきます。
太極拳は意識で動くということを、一般的に普及している太極拳教室では教えられるようですが、動きを意識的に行うことを必要だとするときは、どのようなスポーツでも習い事でも必ず通る道ですが、太極拳の套路はその道を最初から逆に進む、すなわち戻っていきます。意識を遠ざけていくという表現がいいかもしれません。
これがわかるようになると、太極拳の套路は瞑想のような立って動く禅のような域にも入っていきます。
例えば、まず動くことが出来るようになるということで、人間は生きている中で色々なことが出来るようになります。それと同じです。いつも、日常的に動くために色々と意識して、考えて動いているわけではありません。
太極拳も套路にある勢が当たり前に自然に発せられるようになってこそ、武道として太極拳が当たり前に使えるようになるのです。
意識を使った套路をやっている内はいつまでたっても、武道としては成り立ちません。散手対打などをしていて、いちいち身体の動きや姿勢、かたちなどを考えていて、技が身につくわけがありません。
基本は基本でしっかりとやり、完全に勢を自然に思い出しておくことが大切なのです。そしてその勢は無意識のうちに応用されているのです。
その無意識に応用された技を武道として教わるのが太極拳です。
自分で自分の中にある根本的なものを思い出して、それが自分の中にあるのを知り、その感覚を忘れずに武道の練習をする。これが本当に楽しいのです。
自分で感じて会得して技を使っていく。そこには裏も表もなく丸裸の自分がいます。その根本的な自分に近づいていくことで、元気な自分がよみがえってくる。
これは自己だけが感じる、誰も言い訳がきかない世界です。
これが武道の良さです。
太極拳を武道として取り組むことは、このような簡単な単純明快な領域に足を踏み入れていくことにもなります。
きっと単純明快な自分に気づいたときには、さわやかな空が目の前に広がるはずです。