自然の動きが最初からできるというのと、出来ないというのは どういう違いなんでしょうね。 もしかして、その人の性格や生い立ちも関係してくるのでしょうか?

もちろん過去も未来もここもあそこも全て関係していますが、今この瞬間にその全てをどの様に選択しているかだけで、違ってきます。

先天の気での選択か、後天の気での選択かということです。

もっと平たく言うと、すごくありふれた言葉ですが、これが基本です。

愛か不安かです。

愛は全てを受け容れることです。不安は受け容れないことです。(色々な概念がありますが、ここではこう言っておきます)

このどちらも、自分だけで出来ることであり、全く自分以外は関係有りません。完全なる主観性といいます。

その全てを受け容れるというのが自然体になります。迎合ではありません。

ケセラセラです。なるようになるという心の持ちようでしか、太極拳は自然には動けないと言うことです。

そのような心の持ちようになっている人はすぐに自然です。 一生そのようになれない人もいます。 しかし、死んだ後は自然です。千の風です。 死ぬ瞬間のすぐ後はケセラセラです。 生き返ったら、死にたくないと思っても死ぬものと、死にたいと思うだけでは死なないのがわかります。

右の道を行こうが左の道を行こうが生きているときは生き、死ぬときは死ぬ。 どちらを選んでも、どっちみちそういうことだから思い切り楽しんで、全てを余すことなく受け容れる。

「いてまえー」です。それが太極拳の套路でも見つけることが出来ます。 套路を人生と見て長々とやればいいのです。

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