楊式太極拳は水の力を使います。沾粘勁(てんねんけい)と言います。
私が王師に一番最初に教えてもらった技は、進歩攔掌(しんぽらんしょう)という技です。
套路にある進歩搬攔捶(しんぽはんらんすい)を練りに練った上で、教わった技です。
何の変哲も無い、相手が顔面を狙うなど手を出してきたら、その手をよけて相手の腹を掌で打つというだけなのです。
その技を私は2度ほど実際に使ったことがあります。言えるのは、相手がある組の組長の用心棒で、少年の時に人を殴り殺したことがある男のことです。相手はその筋ですから、とてもプライドを大事にしていますから、いくらその時逃れても、いつか必ずえらい目に遭わされます。それは、私が若い頃に本当に嫌と言うほど経験済みです。今でもその傷跡でもう取り返しがつきません。
ですから、私の環境を知っているので、王師はこの技を最初に教えてくれました。
相手が殴ってきたら、一応よけた様な感じに見え、実際には技を出しているのですが、見た目は、相手の横後側に抱きついたような格好になり、相手の顔を横目で見ると、ただ蒼白になっています。その後相手にひたすら横に立って、相手の手や足の届かないところから謝るのです。
それからというものは、彼は私に一切手出しをしません。それどころか、なぜか気に入られ、だれの言うことも聞かない人間が、私の言うことなら聞いてくれるようになりました。
この理由は簡単です。私は王師に加減した上で何度も打たれていますからよくわかります。
打たれたら、腹に大きな穴が空いたような気持ちと、何とも言えない生命の危機感がわき上がり、一切の気力が止まります。
その時に謝られたら、見た目優勢のまま、プライドを保ち、何もしたくなくなります。それなりのリスクを感じるので、面倒くさいからです。
臍回りの腹部には人間の生命活動に重要な神経叢と、重要な急所が多数有ります。腹部より少し上にある、水月というみぞおちは上に角度をつけて捶で打ち込むと、相手を気絶させることができます。そこは狙うところは心臓です。この進歩攔掌は腹部全体を打ちますから、打つのは簡単です。
楊式太極拳の技は、多くがこのような生命の危機感を与える技ばかりです。
特に進歩攔掌は、傍から見た目では静かです。また、ダメージは誰にも見えません。
また、採腿という最も楊式らしい技もあります。それは相手の膝を暫く動かなくする技です。加減しないと折れます。
暫く動かなくなったときに謝るのです。これも相手の手出しをよける振りをして、その手を引き込みながら、膝の横の急所を全体重と相手の体重も借りて踏みつけます。傍目は、よけて体がぶつかったように見えます。
しかし、これで済むのは、相手は特に目的も無く、ただ、いじめやたわいの無い暴力の時に限ります。目的(その人たちの経済活動)がある場合は、少々生命の危機でもかかってきますから、その時は話は別です。
いじめや、輩のいやがらせ的暴力には、人が見ている前では、誰にもわからず静かに恐怖を与え、そして見た目では負けてやることです。誰も見ていないところなら、いじめや輩は何もしてきません。もしなめられていて攻撃をしてこられたら、正当防衛として防御すれば、楊式の太極拳の技は防御と攻撃が完全に一体になっていますから、謝る必要もありません。ただ、恐怖を与えたことは誰にも黙ってやることです。
このように、太極拳の技は防御と攻撃が一体になっているので、傍目からみるととても静かです。攻撃されたのをよけているのですから受動的であり、相手の攻撃の結果だと見えるのです。ですから、静かな戦闘術なのです。
この技は、転動の勢(円の動きを使って拳をよけて相手の範囲に入る独特の動き)。欄の理合(拳が絶対に当たることの無い欄という衝立を体で作る技術)。進歩(体重を全て移動する技術)。偶力(並行する力を一点で合致させる技術)が全てできあがっていないとなしえません。
しかし、太極拳を練習すると身につく技です。最近いじめ問題が社会では大きく取り上げられています。
私も、暴力をプロとして使う輩が、弱い一般市民をいたぶるという世界のど真ん中にいました。
かといって、空手やボクシングを習っても、そのようなプロにその場で勝っても、後で執拗にやられます。
また、過剰防衛にもなりかねません。
太極拳には相手に痛みを与える擒拿術がありますが、これも相手の体全体に生命の恐怖を与えるようなものになっています。
また摔角という投げ技も受け身が取れないどころか、投げた後に一緒に倒れながら、不意に相手に生命の危機感を与えるようになっています。
どちらも、相手の攻撃があって始めて、それを防御した結果、弾みでそのようになったとしか見えません。
ですから、太極拳は、見た目では攻撃をしない、静かな戦闘術と言えます。