王流について

師範若林政樹は、昭和32年、大阪歌舞伎座などでプロレスや芸能の興業などを業とする組織の一族に生まれ、祖父などにより幼少の頃から特にプロレスを教えられ、その後実戦剣術などの修行を経て、20歳前後は大阪ミナミのクレージーホース(大型ディスコ)で毎日起こるプロ同士の道具を使ったけんかなどを止める立場にいました。

その頃から必要に駆られ、様々な武術を修行している頃、クレージーホースに出入りしていた祖父の知人の王氏と懇意になり、祖父への恩義と言うことで、当時70才を過ぎていた王氏から門外不出の楊式太極拳を教わりました。

そのほか、祖父の関係でその道のプロフェッショナルから柳生新陰流やその他の実戦武術・棒術などを教わっていましたが、その中でも王氏からの師事は毎日マンツーマンで長時間に及び、32才の頃王氏から印可を受けました。

王流は、武当山で太極拳の師範をしていた王師が、当時流行した楊式太極拳の套路を取り入れた独自の武当派の太極拳です。

日本でもポピュラーな楊式の套路を練習方法として取り入れたのは、私が套路を覚えやすいであろうとのことでの配慮でした。

技は多岐にわたり、套路を構成する型も300以上ありますが、その技を練習するごとに、一人で練習するものとして套路を構成していました。

王流は、王師が日本人の私のために、全てを修得できるようにという考えと、私が幼い頃から身につけていたプロレスと柳生新陰流との理の融合を、王師と二人で練り合わせたものです。

太極拳は武当派の太極拳でありあらゆる武術と内丹と修養が存在し、套路は楊式古式85式を主に使用し、理念には道家の宗門の行と、日本の武道が融合しているものです。

楊式として日本に伝わる楊式太極拳とは、套路においては外観は余り変わりませんが、その他は全く同じとは言えませんので、王流とさせて頂いています。
王流太極拳の歴史と、王師についてはこちらをご覧ください。