哲学者、数学者、科学者など幅広い分野で活躍した学者・思想家として知られているライプニッツは、「昨日を背負い、明日を孕んでいる今日」と時空の観念を表現している。
太極拳は、四正手と四隅手で空間と時間を創造し、中定という自己の存在を主体として、四方を客体として和合した五行で生きる自分の存在を、無尽の縁起的関係を受け入れながら、ミクロからマクロまでの無限の空間と、無始無終の永遠の時間の中心に、その刹那に自分を置いている、壮大な一瞬の輝きである。そして常に有るものでは無く、移り変わっていくもの。
従って、太極拳はただ「楽しい」「気持ちがいい」、その感覚が結果として、その一瞬に表れる。
その結果が現れてこそ太極拳であり修慧、論じたことは単なる思慧である。しかし、結果が現れたところにこそ、その理があることを知る。それが全てである。修慧は思慧も聞慧も含む三慧である。因縁、縁起の和合である。
太極拳の形を師から真似る。聞慧即ち「守」。太極拳の理を教わり、それで動くことができるようになる。思慧すなわち「破」。最後には、あたりまえに一人で、ただ気持ちが良く、楽しく動くことができる。そこには結果としての「理」があり、結果としての「形」がある。
「形」を知って論じる事なかれ、「理」を知って論じる事なかれ、太極拳が楽しくなれば、そこに理と形があるに過ぎない。そうなれば、その理を話すことができる。形を表すことができる。その形は、見えているだけであり、次の瞬間には消え失せる。それだけである。しかし、全てのものを含んでいる。般若心経に言う。色即是空。空即是色。
時空と五行。十三勢とはこのようなものである。
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