《太極拳刀劍桿散手合編》の序章に書かれた言葉です。中国語で書かれていますが、是非訳して読んでみてください。私の師も全く同じことを、いつも言っていました。こちら
要約すると、「もう中国には武術など完全な形で残っているものは無い。太極拳も皮と毛だけである。その理由は、人々は忙しいことばかりで、太極拳を余暇の趣味か養身治病程度にしか考えず、深くを求めようとしないからだ。そして、中国では元々、子に相当するようなものにしか技芸を伝えないのが習わしであるから多くは断絶した。口伝が主であり、筆で記したものなど門外に出さない。武器が出回り、身を守ることが容易になった。奇才、高手は世に隠れ、伝統の復活など自分の仕事では無い。だから、後の人は誤伝を重ねて、今やチリと散じて、ほとんど絶えようとしている」
「我國武術。門派綦繁。由來已久。迄於今日。泰半失傳。縱有存留。蓋亦闕而不全。略而不詳。謹就太極拳言之。遠姑勿論。卽清代楊露禪一流。所傳於今者。亦僅皮毛耳。溯其所以失傳之由。良有數因。夫以近代人事繁劇。習者視為業餘消遣。惟求養身治病。不思進求眞實技能。一也。吾國習慣。技術非子不傳。子若不肖。技遂中絕。二也。祕術多由口授。或有筆之於譜。亦珍藏不肯示人。三也。自武器革新。拳術視同弁髦。以之強身却病固有餘。以之臨陣退敵則不足。世人遂不深究。四也。茫茫華夏。何地無才。然而丁茲末世。雖有奇人高士。遁跡唯恐不遠。寧復傳非其人。為世詬病。五也。有是數因。斯道遂晦。後人一知半解。以訛傳訛。學者終不得其門而入。大好國粹。幾如廣陵散之將成絕響。不其惜哉。」
中華民國三十二年二月五日(歲朝春子刻) 陳公謹識