太極拳は基本のみを反復練習する

太極拳とは基本の基本の勢という勢いを反復練習する武道です。

勢はもともと人間が備えている先天の理であり、人間であれば全ての人が備えているものです。そして人間は動物であり、生き物であり、森羅万象の一部であると深めていくことで、もっと基本的な勢を知るのですが、それが太極であるということで太極拳なのです。

太極は陰と陽が混沌としており、分かれ目がない状態のことです。

そのような万物が持つ性質を思い出して活かしていこうとする武道です。

十三勢といわれる基本的な勢は套路で反復練習をします。毎日毎日自分の奥底にあるこの勢を思い出して練っていくのです。

その勢の仕組みは,気により動かされていることを知り、その気が生まれる場所は神(しん)で有ることが見えてきます。

そしてその神と気と精が一致したところに,勢が現れることがわかるようになってくると,どのような場面でもその勢を応用することが出来るようになります。

その勢の応用は、散手などの単練や対錬で実際に使ってみます。

それが太極拳の技です。

多くの技を使える高手は、ただ、そのような場面で勢を使っているだけで、とてつもなく多くの技を教えることが出来ます。

勢が相手の動きによって動くときに、相手の動きの違いに応じただけの技があります。

人間が生まれてから後天的に身につけたものは,その人人によっての努力などにより、様々違います。

それに対して後天的に積み上げたものを使用して対応しても、その後天的なものと後天的なものが合致するときにしか、その技が使えないのはわかるはずです。

太極拳は、包括的な十三勢を基本として、もっと深くにある太極の勢、これは相対性、そして無極の勢、これは絶対性と深めていくことで、あらゆる後天的な動きに対して対応できる武道として完成させていくものです。

後天的な技は反復したりすることでその状態を高めていきます。そして、新たな技術の積み重ねです。結果、反復練習していない分野には全く応用が利かないのです。

先天は生まれ持ったものであり、生命の営み全てに通じる能力です。

一般的には、後天的積み重ねの中に、それを極めたものの一部がそれの先天的な部分に気づくのですが、後天的なものを使うときの理にしかならなければ意味がありません。

一つの武道を極めた人はまれに、先天的なものに気づき、一からその先天的部分すなわち基本の基本に立ち戻り、その反復練習をやり直します。

それしかやらない人がいます。そして完全に思い出した時に、今まで積み重ねた技がただその勢の一部であることを知り、全ての技の応用が始まり、達人となるのです。

どちらから入るも極めると同じですが、太極拳は最初からただ基本の基本のみを反復練習し、その応用を千差万別な技として,散手対打などで行います。

基本練習をしっかりやっておけば、全ての技は当たり前に勢により動きます。

技を覚えることも必要ないですが、技に名前をつけて練習法として確立することもいいでしょう。技には必ず基本勢がありますから、その基本勢を明確に説明することで、説明を受けたものはその基本勢を毎日の套路の中でより実感しながら、反復練習を行うことが出来ます。

毎日の套路は、その勢を実際に使った感覚をもって、基本を反復練習するものです。套路は、気を練るものではなく、先天的な人間の生理の意である神(しん)、そこから発せられるエネルギーの流れである気、そして人間として生まれて持っている心身である精が一致するように、そしてその一致した経験を積み重ねるものです。

ゆっくりやればやるほど、その一致の維持が難しくなります。後天的なものの影響をより長く受けるからです。

早くやるのも大切ですが、一致の維持は意識のみで、ある程度無理矢理出来ますが、これも後天的なものであることに気づいていない人は多いと思います。

太極拳の套路はどこまでもゆっくり動ける人のみが、今の一般的な套路の速さで行うものです。

大架式はおおらかに動きます。そしてゆっくり動くことでマクロを無限に求めています。

小架式は、そのマクロの一部として小さく早く動きますが、マクロがあっての一部であり、小架式だけなら、マクロは含まれません。

大架式は小架式を含み、小架式は大架式の一部であり、又その個性です。

これを見てみると人間と同じで、人間は大架式と同じく森羅万象であり、そして個である小架式は,立派に独立した個性ですが、森羅万象の一部には違いありません。小架式がそれを忘れたり、又ただ個であった場合は、完全に全てと分裂するということがわかるはずです。

このような、総合的な理が太極拳には備わっているのです。ですから、太極拳と名付けられたのです。

このように、太極拳は基本のみ反復練習する。これは生きることと同じです。生きるのはだれしもが毎日やっています。

そして、技を練習する。これは反復しなくてもいいのです。その時に、やりたいときに,やる必要があるときに、色々な場面に対応できる能力で、ただそれが技となっているだけです。

経験しておけば、理がわかり,勢がわかり,すなわち生きる能力がわかります。それと同じなのです。

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