純粋、何一つ囚われも曇りもない、当たり前であるがままの状態。
純粋(神=しんの性質)を持続させる。 例えば、太極拳の套路をゆっくりと長く続ければ、それはいづれはわかります。
日常生活で純粋を持続させてみれば、とても面白い現象が起こります。
もしそれが出来れば、一瞬にして周辺の世界も変貌します。
見るものも感じるものも包括した融合した感覚を得るはずです。
面白いように、思った通りに現象が起こります。
しかし、ここがみそです。面白いところです。… 続きを読む
純粋、何一つ囚われも曇りもない、当たり前であるがままの状態。
純粋(神=しんの性質)を持続させる。 例えば、太極拳の套路をゆっくりと長く続ければ、それはいづれはわかります。
日常生活で純粋を持続させてみれば、とても面白い現象が起こります。
もしそれが出来れば、一瞬にして周辺の世界も変貌します。
見るものも感じるものも包括した融合した感覚を得るはずです。
面白いように、思った通りに現象が起こります。
しかし、ここがみそです。面白いところです。… 続きを読む
才能(さいのう) 生まれながら持つ神・気・精で、あらゆる物事を巧みになしとげることができる、生まれつきの能力である。
神(しん) 全てのものに存在する原質(純粋な心)。全体としての普遍性(全てと通じる価値観)。普遍性から揺らぎと共に気が起こる。発想(想いの始まり。個性になっていく)のはじまりとなる。
気(き) その原質から発生するエネルギーの動き。全体とその一部である個との融和。神(しん)を感じ、そのエネルギーはそれを感受する、感性の目覚め。… 続きを読む
本当は最も簡単なはずなのに、難しいものです。
本当は最も楽しいことなのに、不安で苦しい。
しかし、本当は最も簡単で、楽しいことであることを。見つけ出すことが出来ればこの世を「あるがままに」生きることが出来る。
人間があるがままに生きることが出来れば、ほとんどの他のものはあるがまま生きているので、とても素晴らしいあるがままの世界が必ず戻ってくる。
太極拳を真に修練するものは、そのようなビジョンを心の中に描いている人が多い。… 続きを読む
じゃんけん。面白いものです。じゃんけんの理合にある、三極という原理、これが太極の易理論にとても重要な位置を占めているのです。
じゃんけんでは無く、こちらが負ければ、相手が勝つだけの場合。これは相対性です。
三極とは,こちらは相手に負けているが、別のものには勝っているということです。
太極の易理論はこの三極(自然の法則)と相対性(現実の現象)を明確に理論化しています。
易は、これらから統計学的アルゴリズムをはじき出して、数値化とその性状を定義したものですが、三極の変化を計算値に加味すると,変数が増える分だけより細かな易を測ることができるのです。… 続きを読む
1・沈肩垂肘(沈肩墜肘) (ちんけんすいちゅう)
2・含胸抜背 (がんきょうばっぱい)
3・虚靈頂勁 (きょれいちょうけい)
4・鬆腰胯 (しょうようこ)
5・分虚實 (ぶんきょじつ)
6・上下相隨 (じょうげそうずい)
7・用意不用力 (よういふようりょく)
8・内外相合 (ないがいそうごう)
9・相連不断 (いきそうれん)
10・動中求靜 (どうちゅうきゅうせい)… 続きを読む
以心行氣,務令沉著,乃能收斂入骨。
「心にて気を運行し(心意)、落ち着いているならば、気は収斂して骨髄までに到達する。」
以氣運身,務令順遂,乃能便利從心。
「そして、気にて身を運行し、気に(自然に)従うならば、身は心のままに動くということになる。」
精神能提得起,則無遲重之虞,所謂頂頭懸也。
「このように精(心のままの身体)と神(純粋な心)が起こることを得ることができれば、恐れおののき動きが遅れたり重くなることもなくなるのであり、これが、いわゆる頭頂に気を懸かげるということである。(虚霊頂勁の理合=姿勢の要求ではなく、心と気を一致させている虚無心や不動心のこと。)」… 続きを読む
套路は、最終的に神=しんという人間の根本的な生命力で動くことを目指します。
武当派ではそのことを、存思(そんし)といいます。
存思(そんし)とはいわゆる瞑想のことですが、仏教などで言われる瞑想とは又違います。
太極拳の源流には坐道といわれるものがありますが、そこでも行われていた瞑想法です。
存思(そんし)は人間の生命の根源、すなわち純粋無邪気な無為なエネルギーに自らを置いている状態のことです。
仏教の禅のように悟りを得るためとか、無念無想とかと又感覚が違い、もっと躍動的でかつ、無為で純粋なものです。生命の根源にあるような根本的な存在で動くのが瞑想太極拳です。… 続きを読む
武当派の楊式太極拳では龍の勢(沾粘纏糸の勢)を多用します。
双龍採扌厥(そうりゅうさいけつ)・双龍大扌履(そうりゅうだいり)・双龍斜飛(そうりゅうしゃひ)双龍撇身(そうりゅうへいしん)大纏手(だいてんしゅ)や小纏手(しょうてんしゅ)昇龍纏腕(しょうりゅうてんわん)などの太極拳の擒拿術は、龍の勢を実感するのにとても役立ちます。
とても大切なことですが、龍の勢は龍脈を通ると言うことです。龍脈は聴勁により感じ取り、入り口からしか入ることができません。そして出口からでることにより、龍の勢による発勁は完成します。… 続きを読む
「内の三合」 精気神 ・「外の三合」 手眼身 ———-以上を「内外六合」
精は手であり——–気は眼——–神(しん)は身である。
内の精気神の一致は、すなわち、手眼身の一致である。
太極拳の発勁の際の手眼身は三尖に通じ、相照する。「三尖相照」
神は身を震わせ三尖に向く
気が眼を光らせ三尖を見る
精は手(足)に三尖に爆発する。… 続きを読む
武道において、相手の攻撃を受けて攻撃するという攻防について述べます。
一般の武道では、相手が息を吐いて撃ってくれば、(実)こちらも息を吐いて受ける(実)というものが多いようです。
それから息を吸い込み、又吐いて反撃する。受け側は、吸って(吐く前に吸っているから)、吐いて、また吸って吐くという4呼吸と考えることとします。
この場合は双方が実、双方が虚、双方が実と一致しているので、お互いに効果的な発勁は行えません。… 続きを読む