哲学者、数学者、科学者など幅広い分野で活躍した学者・思想家として知られているライプニッツは、「昨日を背負い、明日を孕んでいる今日」と時空の観念を表現している。
太極拳は、四正手と四隅手で空間と時間を創造し、中定という自己の存在を主体として、四方を客体として和合した五行で生きる自分の存在を、無尽の縁起的関係を受け入れながら、ミクロからマクロまでの無限の空間と、無始無終の永遠の時間の中心に、その刹那に自分を置いている、壮大な一瞬の輝きである。そして常に有るものでは無く、移り変わっていくもの。… 続きを読む
太極者無極而生。陰陽之母也。
体のさびと気順
全身に気を巡らしていく。套路をするにも、対錬をするにも、この気順があってこそ太極拳です。
全身の細胞にエネルギーを行き渡らせ、新陳代謝し、酸素を消費し、又供給する。体に呼吸と気がみなぎる。
30代と言わず、20代から、いや子供の頃から、全身に気が巡り、酸素を健康に新陳代謝する能力を維持し続けることは、将来の健康な生活の保険のようなものです。
太極拳を修行するものの心得として、30年前の心身の状況が、現在の心身の状態の基盤を作っていると考え、30年後の未来を想定して、今を生きています。又逆に、30年前の状況が今我が心身の基底であることを認識して、今を生きています。… 続きを読む
気力が湧かないままで、どうぞ。
自殺大国日本において、最近特に女性の自殺者が増えてきています。(2012年6月8日政府の自殺対策白書)そのもっとも多くを占める原因は健康問題で全体の過半数になっています。
これらは、これといった病気ではなく、何となく活力が低下し、疲れやすさすなわち易疲労があり、今まで楽しかったことに興味がなくなってきたり(アンヘドニア)、そして何か鬱々するというものです。
そして、なかなか元気になれないというところから、食欲がなくなったり、イライラしたり、風邪をひいたような症状や、腰や膝の痛みなどと発展していき、何らかの健康に問題があるのではと感じるのです。… 続きを読む
4次元の太極拳
十三の勢には、まず四正手があります。
四正手は、右攬雀尾では、掤は進行方向に向かって右前上から扌履は左後下、擠は前、按は後下から前と、右交差の3次元を描き、左の攬雀尾で左交差の3次元を描き、幅、奥行き高さである空間を全て網羅します。身の幅、眼の奥行き、手の高さの三尖で空間を描くということです。
そして四隅手ですが、野馬分鬃では、靠肘挒で因縁果の三節になり、現在から未来への時間軸を構成しています。後ろ手の採はその現在を身の中心線とすれば、三節に伴う過去の時間を表しています。靠肘挒の勢は採勢が力点となっているのです。そして中心線が支点、そして靠肘挒が作用点です。靠肘挒と進む長勁は後ろ手の採勢が力点となり、身体の中心線が重要な支点として発勁されます。… 続きを読む
護身の極限
護身には「起きないようにどうするか」「起きてしまったらどうするか」の二つのアプローチがあります。
太極拳と柳生新陰流においては、生死の境の心境をどちらの場合でも心意に備えておくことが必要です。
これが、生の尊さからくる死に対する極限の護身なのです。 そして、これが、セルフエスティームです。
宮本武蔵が、どこまでも生き残ったのは、死の恐ろしさと対比する生と、またその生の中で生きる自分の尊さがあるからこそ、生死の境で使える護身の剣を生み出しています。… 続きを読む
無色・白色の力
太極拳未経験の方に太極拳の武道的な動きを教えました。
そこで、特に小さな子どもと、年配の方ほど、初めての場合はとても動きがスムーズなのです。
この理由は明確です。
太極拳は先天の理を使いますから、何も色がついていない無色または白の力なのです。
こどもはまだ無色です。ところが無色に見える中には、太陽の光のようにあらゆる色が含まれています。
プリズムです。無色の力は、このあらゆる色を全て含んでいるから無色であるように、すでに全てが和合されている動きになります。… 続きを読む
今を生きる極意
今日2012年5月21日 午前7時34分。太極拳の套路を終えて、空には薄雲の合間から金環日食が。
デジカメで写真を撮影。まぶしすぎて金環はわかりませんでしたが、肉眼ではしっかりと見えました。
人は一瞬を切り取る写真に心を寄せます。
人生とはこの一瞬に全てがあり、命はここで輝いている。
私は、このように感じて生きています。写真はこの一瞬を切り取る。通じるものです。
インド独立の父。マハトマ・ガンディーの残した言葉がFaceBookで紹介されていました。… 続きを読む
タントラとしての太極拳
王流の楊式太極拳は武当山で修養されていた内丹術としての行でもあります。
天地万物の構成要素としての気を、行気・運気・導引・存思・吐納などを修養し、身中の「内丹」を練り上げ、身心を変容させて、道(タオ)への回帰を目指し、性命を内側から鍛練する東洋の伝統的な修行法です。
『老子』第四十二章の「道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず」
根源たる「道」すなわち完全なる無。そこから先天の一気が生じ、一気は陰陽の二気と成り、陰陽二気は交わり,解け合い融合するようでふれあいながらの沖和の気を生じ、陰陽と沖和の三気から万物が生じます。… 続きを読む
教えは守らないから教えである。
教えは守らないから教えである。
教えようとしているものは、教えの中にはない。
教えを生み出したところにある。
教えを守るということの観念と概念が、人生において大きな意味を持ちます。
教えとは、読んで字の如く。何かを教えようとしているのであるから、その教えようとしているものを探す入口です。
でないと「答え」と言うでしょう。
禅問答のその「答え」は、例えば人生とはという問いに「指で◯(まる)」。
これが教えでなく答えであり、教えは指で◯という理由の表現された結果である。その教えは「空(くう)」と続くのです。… 続きを読む