太極拳生活を続けていると、布団の中に入るとすぐに深い眠りにつき、そして、深い眠りの中でも異変ですぐに目が覚めます。
深い睡眠でも違和感に対し即座に目が覚めるのは、太極拳の副交感神経を使った練習で、深層意識を使った聴勁(相手や環境の気を感じ取ること)が自然に身につくからです。
動物としての本能を思い出すみたいなもので、深いリラックスの中で、気が動く訓練を行います。
このような練習を続けていると、深い眠りの中で、少しの違和感にさっと目が覚める深層的な自信が身につきます。… 続きを読む
太極拳生活を続けていると、布団の中に入るとすぐに深い眠りにつき、そして、深い眠りの中でも異変ですぐに目が覚めます。
深い睡眠でも違和感に対し即座に目が覚めるのは、太極拳の副交感神経を使った練習で、深層意識を使った聴勁(相手や環境の気を感じ取ること)が自然に身につくからです。
動物としての本能を思い出すみたいなもので、深いリラックスの中で、気が動く訓練を行います。
このような練習を続けていると、深い眠りの中で、少しの違和感にさっと目が覚める深層的な自信が身につきます。… 続きを読む
山で遊び出す子ども達はとても元気です。山の中を走り回っている内に、色々なことを忘れて、ただ無邪気に遊び回っています。
そんな子ども達の、足下や手の動き、身体の動きを細かく観察していると、驚くような巧みな高度な動きで、山を駆け上り、飛び降り、ぶつかり合っています。
これは何でしょうか?努力のたまものでしょうか?
実は、これが太極拳が求めているところなのです。
確かに努力も大切でしょうが、努力したことを積み重ね、その成熟したものに頼り切ることが果たして全てでしょうか?… 続きを読む
太極拳は、不老長寿に役立つと一般的に考えられています。
健康にいいというだけの理由ではなく、太極拳の運動のしくみが,人間の根幹部分の生理を使うところから、現実的に若返り,病気から遠ざかり元気になり、又事故や怪我を未然に防げる危険を察知して防衛する本能的な能力をより思い出して練るところにあります。
例えば、心と健康の関係にしても、副交感神経を優位にして,穏やかなストレスに強い心身を育て、放松というとらわれのない根幹的な人間の心の太極拳の意で、そのまま精神や身体が動くように、繰り返し毎日運動します。… 続きを読む
太極拳とは基本の基本の勢という勢いを反復練習する武道です。
勢はもともと人間が備えている先天の理であり、人間であれば全ての人が備えているものです。そして人間は動物であり、生き物であり、森羅万象の一部であると深めていくことで、もっと基本的な勢を知るのですが、それが太極であるということで太極拳なのです。
太極は陰と陽が混沌としており、分かれ目がない状態のことです。
そのような万物が持つ性質を思い出して活かしていこうとする武道です。… 続きを読む
太極拳の武の高手への道で、他の武道と大きく違うところがあります。
全ての武道、そして全ての人とは言いませんが、多くの武術は、新しい動きを身につけたり,又コツを覚えたり、秘伝みたいなものを新しく知ることで上達するとされています。いうなれば積み上げていくものでしょう。
太極拳は自分の持って生まれた,無為自然の才能に気づき、それを練ることのみに高手への道を求めています。太極拳は積み上げているものを一度捨てて,本当の自分に気づき、それからその積み上げているものを使うものです。… 続きを読む
かみとは読まずしんと読みます。
道教における三宝(神・気・精を天・地・人。天は一となり、地は二となり、 人. は三となる道教思想です)
従って、神に近いかもしれませんが、もっと自然的に森羅万象の存在そのものの理由のようなものであり、自然意思又は純粋意思みたいなものです。
無意識の奥底にある、人間以前の全てのものすなわち森羅万象との一体感と、その活力みたいなものです。
無為自然において,完全なる無によって全てとつながっている強い意思的感覚とでもいいましょうか、到底言葉では言い表せないものですが、人間として天と地の間に存在する時、天と地と一体になった感覚が、三位一体的な,道教でいうと三宝合一的な状態です。… 続きを読む
太極拳は神気精の一致で発勁となります。
精とは人間が人間として持っているものです。肉体と精神の全てです。
それは、老若男女であっても、持ってる物はなにも変わりません。
精とはその人間の基本的構造、例えば、筋繊維の数や細胞の性質、骨の数やその性質、脳の造りやその性質,その他の生理的性質など全てのことです。
この基本的構造はたとえ赤ん坊であっても、老人であっても、男性であっても女性であっても変わりません。
厳密に言えば、多少の差があったり、病気やけがでの差異はありますが、根本的なところでは … 続きを読む
勘とは、人間のありにままにある優れた能力です。
俗に第六感と言われるこの感覚を心身一如(心と体が一致して)で使えるように養うことができます。
勘は、空間(例えば、周りからの影響)や時間(例えば、急いでいたり、ゆったりしていたり)、五感(心身が感じる色々な感覚)にとらわれない無為自然の感覚です。
その勘を技の中で経験して養うのです。 勘と技が一致したときは、神(心)気・精(体)が一致します。
瞬間の機(チャンスの元みたいなもの)を知り、勢(動きの起こりみたいなもの)を発します。… 続きを読む
良く映画などで、敵の首をゴギッと回して、絶命させる技があります。
実際にやってみると分かりますが、(★★やってはいけません。★★ ゆっくりやっても首が捻挫するなど大変なことになります。ちゃんとした安全な練習方法があります)
そんな簡単にできるものではありません。相手の体がついてきます。
勁道は手揮琵琶です。
前から相手の頭を纒糸勁で抱き込むようにして、縮勁(しゅくけい:体を縮める時に生じる勁道)で耳の方へ両手の指先に気を送り、滑らしていくと、耳たぶの下のあごの骨の外側に、中指(他のどの指でもいいが、中指が自然)が自然と引っかかる。(ここまでの練習は、友人などを相手にすると、面白いようにうまくできるが、套路などで纒糸勁や、縮勁を練っておかないと、自然とは出来無い。)… 続きを読む